平明な文章の書き方(らしい)


http://d.hatena.ne.jp/gachapinfan/20060512#p1

「平明な文章の書き方」

(gachapinfanのスクラップブック)



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「gachapinfanのスクラップブック - 平明な文章の書き方」

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 はてブ経由で『プレジデント』 5月29日号 の記事「ビジネス文を書くときの躓きポイントと解決のコツ」のことを知る。 『gachapinfan のスクラップブック』さんで「平明な文章の書き方」と題して当該記事の抜粋が紹介されていたからだ。
 で、私ははてブのコメントにこう書いた──「大して役に立たなそうな『書き方』。このテのやつで『主語』とか言い出したらヤバイと思った方がいい。全ての項目に補足が必要だよな(原文はどうなってるんだろ?)」。自分で言うのも何だが、意図的に辛辣に書いた。そうしたら gachapinfan さんがコメントで「↓"全ての項目に補足が必要だよな(原文はどうなってるんだろ?)" 詳細は店頭で雑誌を読んでいただければ幸いです」。
 恐縮したね。私は書くことはああだが、実は気が弱い(笑)。ネタにしようとは考えていたから、そのコメントに煽られる形で書店へと。

 ただ、ここではまず、当該記事を読む前に感想を書き留めておきたい。そうしないと上記コメント「全ての項目に補足が必要だよな」の意味が見えてこないと思うので(読んだ後で心境の変化があれば、それはそれで面白いし)。

 私は別に「ビジネス文」を書き慣れた人間ではない。そのあたりは悪しからず御了承いただきたい。一介のブロガーでしかないし、ただ日本語の書き方に興味を抱き続けているだけの人間。思うところはあっても、所詮 他人の受け売りでしかなかったりする。──それでも、例の「抜粋」には考えさせられるところがあったのである。
 以下、 gachapinfan さんの記事からの引用と私の感想。


1.「テーマ」がきちんとわかっていますか?
  ○「事前メモ」並び替え法

「テーマ」──要するにその文章で言わんとしている中心。これは大事だ。
 テーマを掴んでいるかの目安は、その文章の要約を一文で言えるかということ。最も重きを置いているのがどこかを意識しておかないと、文章があちこちに流れがちになる。特に客観性を持って書こうとすると多角的な事実提示が必要となり、その優先順位を忘れてしまうことが多くなる(例:自分の論に対する反論に一定の理解を示す場合──どちらが自分の論か判らなくなるなど。)。
「事前メモ並び替え法」は全体の構成を見るのに有効なのだと思う。ただ「テーマ」を掴んでおかねば並び替える基準が見えてこないし、また なるべく単純な構成をとらないと書いてて訳が分からなくなる。書き出し→「テーマ」の根拠→考え得る反論→「テーマ」強調(反論への反論)てな感じの流れがシンプルで解りやすいのではないか。


2.「主語」と「述語」の関係は適切ですか?
  ○「説明」挟み込み法
    ■文を二つに分割する
    ■(×)「私のこれからの目標は、
     指導力があってアグレッシヴでありながら、
     部下に対する包容力を失わないリーダーになることは、
     とても難しいと思います。」
    ■(○)「私の目標は、指導力があってアグレッシヴでありながら、
     部下に対する包容力を失わないリーダーになることです。
     しかし、そのようなリーダーになることは、
     とても難しいと思います。」

 私が最もツッコミを入れたかったのがここ。
「主語」「述語」なんてのは英語文法と日本語文法を比較したがる人間がよく持ち込む概念なのだが、これを言い出す文章作法があったら眉唾ものと考えた方がいい。なぜなら日本語文法では英語文法のような「主語」「述語」の関係を取る例がむしろ少ないのだから。「主語」が文頭に来ると思い込んでいたら、日本語の文章は書けない。
 よく言われることだけれども、日本語では主格の語が省略されることが多い(「雨だ!」「どうもすみません」)。それに、主格の語が他の修飾の語としばしば転倒する。例えば「中年男がゼイゼイ言いながら走る」という文があったとしたら、「ゼイゼイ言いながら中年男が走る」でもOKなわけだ。こういう語順は、「主語」「述語」に囚われると気づかなくなってしまう。
 要は、大事なのは「述語」にあたる部分なのであって、主格にあたる語はさほどでも無い。前後関係次第で省略できるし、長文の時などは文頭よりも むしろ係る動詞の傍においた方が解りやすいものなのだ。

「主語」が文頭に来る──なんて勘違いをしていると、「『説明』挟み込み」なんてことを考えてしまう。「私の目標は」云々というのは、たまたま文章のネタを示す格助詞「は」が使われたために文頭にくることが多いのであって、これを一般化して述べることは出来ない。
 例文は確かに前者が「×」で後者が「○」だろう。しかしそれは「主語」「述語」の間に「説明」が挟み込めるから適・不適に分かれるのではない。「AはBである」という定型があり、その受けの語「〜である」を忘れて文章を続けてしまったがために前者が「×」なのだ(さらに言えば表現しようとしている内容が変化してしまっている)。
 この係り受けさえ意識していれば、実は文章を二つに分ける必要はない。繋げられる。「私の目標は、指導力があってアグレッシヴでありながら部下に対する包容力を失わないリーダーなることですが、そのようなリーダーになることはとても難しいと思います」。読みやすさから考えれば避けたいところではあるけれども(あんたが言いたいのは後半か!?なんてツッコミが飛びそう)。


3.「修飾語」の順番は間違っていませんか?
  ○「言葉の順番」入れ替え法
    ■(△)「わが社は七月に、
     世界最小の集積回路を搭載した携帯電話を発売します。」
    ■(○)「わが社は七月に、
     世界最小の集積回路を搭載した、携帯電話を発売します。」
    ■(○)「わが社は七月に、
     集積回路を搭載した世界最小の携帯電話を発売します。」

 ここは例文に納得いかない。2つ目の文と3つ目の文に「○」とあるが、この二文は意味が異なる。「世界最小の集積回路」と「世界最小の携帯電話」は違うのである。これが両方とも正しいとしているとしたら、それこそ「テーマ」を見失った文章と言える。
 そして1つ目の文。これは本当に不適切なものなのか? もし携帯電話が世界最小だという趣旨だったら、確かにまずいだろう。しかし集積回路の方が世界最小だったら、この文でも意味が伝わる。あそこに「世界最小の」が入って「携帯電話」に係ると考える方がおかしいのだ。あえて別の表現を採るとしたら「わが社は七月に携帯電話を発売します。世界最小の集積回路を掲載を搭載したものです」と二文に分けるか。

 いやぁ、そもそもこの文章、どこに重きを置いているのかが判らない。「わが社」か「七月」か「世界最小」か「集積回路」か「携帯電話」か。例えば「わが社は、集積回路を搭載した世界最小の携帯電話を七月に発売します」でも、「七月に、集積回路を搭載した世界最小の携帯電話をわが社は発売します」でも、「集積回路を搭載した世界最小の携帯電話をわが社は七月に発売します」でも間違ってはいない。その中から、どこを強調するかによって語順を選択することになる。
 修飾語の順番を決めるには、まず句読点なしで読みやすい順に並べ(長いの先に、短いのを後に)、強調したいものを先に転置して句読点を打つのが吉。このときに、自分の言わんとしていることを把握していないと優先順位が決められない。



4.「接続語」を使いすぎていませんか?
  ○「文の関係」見直し法
    ■「つまり」を連発されると、
     何と何が等置されているのか追うのがしんどい
    ■「しかし」を連発されると、
     議論が堂堂巡りしている印象をうける

 ここは ついついやっちまうんだよな〜(この点は初見から共感してた)。
「つまり」や「要は」の連続は、本当に要約されているのか・先の文章と別の言い回しになっているのか気を付ければ避けられるのではないだろうか。要約してるつもりが元の文より長くなるなんてことも起こりがちだったりするから。同じことを繰り返して書いてるなと思ったら容赦なく削ること。そうすれば「つまり」の連発は避けられる。実際に必要な「つまり」は案外少ない。
「しかし」の連発もよくやる。ただこれは「テーマ」と構成の問題であって、同じサイドに属している事象──先行する文章に対し「しかし」で繋いだ方と、それから「しかし」で戻ってきた方──をそれぞれ纏めて述べるように構成しなおせば解決できたりする。もちろん「しかし」の前後で、どちらが「テーマ」に合致する内容なのか見極める必要がある。

 私が文章を書く時は、ついつい「しかし」「〜ですけど」をやってしまうのだけど(ホラ)。根がツッコミ気質なもので、自分の文章にもツッコまずにいられない。


5.「指示語」の分量はだいじょうぶですか?
  ○「読みやすさ」優先法
    ■文脈上特定可能である場合は
     指示語を省略してもかまわない

 指示語を省略した方が解りやすくなることもある(指示語が多くて読みづらい代表は法律の文章だろうか)。それは確かだ。
 ただし あまりに省略しすぎると、書いてあることが解らなくなる。省略してもその支持対象が一意に解釈できるときにのみ この技を使うべきだろう。この判断は難しいのだけど、実はそういう「解らなくなる」文章になりがちな書き手だと指示語を使っても解りにくいことが多々ある。
 そんな書き手(私だ!)にちょっとしたメモ。指示語は「それ」「これ」を使うよりも、「その〜」「この〜」てな感じで名詞と共に使った方が解りやすくなる。また指示語を使わずに、あえて名詞(指示対象そのもの)を繰り返して書いた方が効果的な場合もある。

 ──「それ」「これ」を推敲の時に書き換えるのが私の日常。


6.「事実」と「意見」がごっちゃになっていませんか?
  ○「書き手との同化を求めることにより、
   読み手を動かそうとする」のではなく、
   「客観的な事実で納得させることにより、
   読み手を動かそうとする」ほうが望ましい

 これは私も心がけている(つもり)。
 客観的に示す事実、論理云々よりも主観優先の感想、調査の前段階としての疑問、ある程度リサーチし論理的に検討した上での意見──と、文章を書くときには様々な表現をすることになる。同じ文章の中に同居してはいるけれども、その区別が可能なようには一応しているつもりだ。特に、事実関係については経緯や引用元の明示を行なうよう努めている。
 ──まぁ、私の書く文章の殆どは主観的なものではあるのだけど(ビジネス文ではありゃしません)。

 文章を読む時にも必要な意識ではある。


あともうひとつ、「読者の関心をひきつけるために、疑問文を効果的に使えていますか」というのも挙げられているのですがこれは省略。


※ 引用者注:これは gachapinfan さんによる地の文。

 実は、この「疑問文を効果的に使」うという部分に結構 興味を惹かれたのだ。でも「省略」。
 やられたって感じ。結局(前述の通り)当該誌を買うことになった訳だが。

 さて。今まで書いてきたことを私は実行できているのだろうか? そんなわきゃァない。
 少しでも文章が巧くなりたいとは思っているがなかなか‥‥。上記の「感想」はむしろ、私が日頃忘れないよう意識していることと言った方が適当であろう。
 ──それが締めかい!

(『プレジデント』誌を読んだ後の感想に続く‥‥か?)