「パクリ」問題化の広がり

http://d.hatena.ne.jp/orangestar/20051030/1130635885

http://nemoba.seesaa.net/article/8733993.html

 いわゆる「パクリ」について私のスタンスを先に明示しておくと、基本的には法に抵触しなければ(つまり著作権法下で侵害と判断されなければ)OKだと思っている。文化の発展が過去の文化的所産の継承を前提としている以上、創作というものは大なり小なり「パクリ」と呼ばれる行為の積み重ねであると言えるからだ(創作は「パクリ」+αである)。ただし市場で流通する著作物については、道義的な意味合いで「パクリ」でないことが要求されることは否めまい(インターネットのように、「市場」とは呼べないが第三者の目にさらされるものも含まれるかも知れない)。著作権法に抵触するかどうかと発表された作品が市場に受け入れられるかどうかとは別問題で、親告罪である著作権侵害の問題が発生しなくても、「パクリ」とみなされることにより不買の選択をされてしまうこともある。それを避けたければ、作品の送り手側で“道義的”に「パクリ」とならない範囲を保つ必要はある。その兼ね合いは難しいところだ。
 消費者の立場からすれば、ある作品について「パクリ」かどうか指摘・議論する行為について問題はないと思うし、それを妨げられる筋合いもない(それこそ言論の自由に関わるところであるし)。市場というのは各消費者の選択行動の積み重ねである以上、そこで受け入れるか否かも個々に委ねられている。何人かが「パクリ」と指摘したところで、他の大勢が受け入れるのなら市場に存在する価値はある。要するに、「パクリ」作品を市場原理によらずして抹殺してしまうのはやりすぎではないかと思うのだ(これは送り手・受け手の双方に言える)。
 他人の作品をトレースしたとかで絶版にされてしまった作品が話題となったところだが、これは出版社の過剰反応と言わざるを得ない。おそらく悪しき前例となってしまうだろう。そこで何故 作品・作者を守るということをしなかったのか。創作と「パクリ」という不可分なものをまるで分離できるかのような前提で出版社が対応してしまったために、次から次へと出てくる「パクリ」の指摘にどう対応すれば良いのか。まさか片っ端から絶版にするのか。そうしたところで、「パクリ」作品を送り出した出版社の“責任”が免れられる訳でもあるまいに。むしろ「パクリ」に対するスタンスの明確化が必要なのではないのか。許容される「パクリ」とはどのような場合かという。


 ところで、音楽で某アーティストの「パクリ」を「検証」しているサイトが、その発売元であるエイベックスから抗議を受けたという話があった。この問題、チラッと見ただけではエイベックスが逆ギレでもしたかのように見えてしまう(ちなみに歌詞の転載や採譜だったりすると JASRAC が権利を主張する可能性があり、CDの音源を使えば更に原盤権を持っている者が権利を主張する。いずれにせよ「引用」であれば問題ない筈だが)。特に匿名での指摘を非難する趣旨も見られ、全く的はずれと言わざるを得ない。
 その反面、いわゆる「パクリ検証」サイトが「引用」「批評」を目的としていながら著作権法に抵触する形で情報発信をしているという事実もある。これらは分けて考えねばならない(その意味で、こちらを指摘すれば済むものを「匿名」の話に言及してしまったエイベックスの愚劣さは特筆に値する。ここには「のまネコ」問題で「匿名」の話とすり替えようとしてた人もいたな、確か)。
 著作権法で認められている「引用」の範囲をきちんと守っているのか。引用範囲が必要最小限であること、主従関係が明確であること、引用元の表示があることなど、その要件は厳格である。もちろんグレイゾーンというものはどうしても存在し得るのだが、「引用」を伴う検証・批評の正当性を主張するのであれば、そこは押さえなければなるまい。
 繰り返そう。エイベックスが「検証」サイトに抗議をするのならば、次の議論は分けねばならない。


●「検証」サイトの「引用」手法が著作権法に抵触するということ
●「匿名」での批評は行なうべきではないということ


 エイベックスは前者についてまず指摘すべきであった。後者は、言ったところで聞き入れてはもらえまい(何の論理的正当性も無い主張であるのだから)。批評は実名でしなければならないなどというルールはどこにも無いし、そもそもペンネームで表現活動をすることを否定することになりナンセンスである。