電子書籍はまだ「紙の本」に勝てていない

http://www.siesta.co.jp/aozora/archives/002361.html

 『aozora blog』 で「紙の本でないとダメですか?」との記事。また例によって、この記事がどうとではなく“インスパイヤ”された文章を書いてみようとおもった次第。


 私個人としては、やはり「紙の本」でなけりゃダメだ。専用端末はまだ使ったことが無いから何とも言えない(しかしただ読書したいだけなのに専用端末を何万円も出して買う人はいるのかね。それなら私は本を買い込む方を選びたいものだが)。しかしパソコン上で本を再現するという試みに関しては、あまり成功していないように思える。いや私はどういう訳か Book Browser → T-Time → Azur と使ってきたりしてるんだが、これの改良史を見てもなお足りない。印刷物の利便性は可視性・可読性だけでなく、線を引きながら読んだり、ペラペラめくって斜め読みしたり、適当に開いて拾い読みしたりと、電子書籍が再現するのは難しいものばかりなのだ。
 では電子書籍に利点は無いのか? いや、ある。ハードディスクの容量さえ許せば、場所をとらずに済む。現物を運ばなくても良いから流通コストが抑えられる。検索も容易だ。データさえ配信できれば、絶版なんてことも無くせる。
 待て待て。電子書籍の利点というのは、そのまま「紙の本」のデメリットに重なるな。それも、現状の出版業界が自業自得で引き起こしている問題だ。再販制などという悪習のせいで価格は高止まり、流通は硬直化、文化のためとか良いながら平気で絶版‥‥。「紙の本」を守るがために(つまりは業界の悪癖を維持させるのに)どれだけの不便を読書家は強いられていることか。


 となれば、電子書籍が目指すべきなのは、「紙の本」の補完ではないのか? 「紙の本でないとダメですか?」とスネたことを言ってるべきではない。同じものが「紙の本」でも電子書籍でもあれば、そりゃ「紙の本」の利便性が勝る。電子書籍が勝てるのは、価格と利便性のバランスが取れた時だ(安くて、ある程度 便利だったら消費者はそれを選ぶ)。そこよりも、電子書籍に扱ってほしいのは、今や「紙の本」で手に入らないものだ。絶版本である。
 絶版本を「紙の本」で復刊するという試みはいくつかなされている。中には、注文生産でやるという試みもあるが、これはいかんせん高い。そうした時にこそ、コストをおさえられる電子出版があるではないか。本を欲しがる人は、もし「紙の本」で手に入らないとしたら、それこそ立ち読みでも読んでみたいと思うものだ。それが実態のないデータだったとしても、ね。
 「紙の本」と同じものを電子書籍で出したって仕方ないのだ。無いものをやれ。


 なお、私が電子書籍に望むのは、音楽配信に望むものと同じだったりする。安さ・利便性・絶版(廃盤)救済である。これらが同時に実現されれば、文化の伝播力はおそろしく強まる。それこそ現状の産業構造を変えるほどに(新しいけど稚拙なものは売れなくなるだろうな。笑)。