「似非ジャーナリスト族」(仮)の詭弁
【目を留めた記事】
▲ 「似非ジャーナリスト族」(仮)による暴言の数々。
http://www.geocities.jp/houdou_higai/
「奈良女児誘拐殺人事件-オタクバッシングまとめサイト-」
誰かしらを“犯人”に仕立て上げないと気が済まないらしい。
妄想は頭の中だけに留めておかれよ。
それを口に出すと「公共の福祉」に反する。 >大谷昭宏氏。
あと、まともなジャーナリズムの境界は社会が決める。
▲ 思考実験。「矛盾」を正当化する詭弁・屁理屈の数々。
http://www.faireal.net/articles/9/13/#d41224
「『矛盾』を無理矢理弁護」
(faireal)
ここまでシチュエーションを書き分けられるのは見事だ。
さんざん笑わせて戴きました。
(世の中には「ジャーナリスト」と自称しながら
詭弁を弄する輩がいる訳だが、それを上回る展開なので
なおのこと笑っちまったい。)
【アップル関連】
▲ こりゃ何かズレてるっていうか。
http://www.asahi.com/business/update/0103/004.html
「携帯音楽プレーヤーで動画配信 東芝がiPodに対抗」
(asahi.com : 経済)
東芝は、動画を録画・再生できる携帯音楽プレーヤーを今年中に発売する。この分野で先行する米アップルコンピュータの「iPod」などに対抗するためで、これに合わせ東芝EMIなどと共同で、歌手のプロモーションビデオや風景映像などを配信する仕組みを整える。
東芝製品はどうなのよ、使いやすく作ってるのか?
系列会社(どうしてもそう見られるだろうよ)の
東芝 EMI から発売されてる“音盤”の多くは
パソコンで聴けねぇじゃねぇかよ。
そんな「東芝」ブランドで何を出したって
iPod に対抗などできるものか。
あと iPod と本気で対抗しようと思ったら、
AAC にも対応させないとダメじゃねぇの?
(FairPlay は無理としても。)
それに どうせ Mac じゃ使えないんだろ。
▲ このうち、「フラッシュ iPod」 「画面のないコンシューマー Mac」
http://homepage.mac.com/macandpal/#3389
「『新戦略』が期待されるMacworld Expoサンフランシスコ2005」
(Mac & Pal)
macnews.net.tc は Macworld Expoサンフランシスコ2005の予想を行った。その内容は大まかに次の通り。
フラッシュiPod
色々な事実確認が取れているので◎。
噂が本当ならば、価格は149ドルか99ドルになる。
iPod mini 5GB
もしかしたら新色になる。
複数の情報筋によると、価格は199ドルになる。
Asteroid
アップルがこの情報で訴訟を起こしている。
GarageBand 2とともに出ると思う。
画面のないコンシューマーMac
我々は二つの情報筋に接触したが、この噂は本当だと思う。
iLife '05
出ることは分かっている。iTunes 5がどうなるかは不明。
Keynote 2
この噂は事実確認されている。
iWork '05
AppleWorksを置き換えるものになるのだったら、
表計算やデータベースソフトが含まれなければならないが、
アップルはデータベースにFileMakerを勧めるかもしれない。
Power Mac G5 PowerBook G5
新しいPower Mac G5がエキスポかその後の1ヶ月に現れる。
次のPowerBookはG5になる。
それがエキスポで発表されるかどうかには賛否あるが、
新しいPowerBookかPower Macのどちらかが出るだろう。
Tiger
エキスポでリリースされることはない。
「iWork '05」 などは この『Mac & Pal』 を始めとした噂系サイト、
それに 『CNET』 『ITmedia』 などのニュースサイトなどでも
頻繁に採り上げられているところである。
勿論アップルからの正式発表は無い。
“裏情報”だったり、アナリストの発言を載せている例が多い。
でも久々にアップルからの発表にワクワクさせられる新春じゃないか。
この期間を大いに楽しむとしよう。
▲ 共同通信の記事によると、
http://copyright.jugem.cc/?eid=387
「音楽配信元年」
(Copy & Copyright Diary@JUGEM)
「2005年は音楽配信元年」なんだとか。
そこへすかさず 「2004年は 電子書籍元年」と
されていたのだと管理人さんのツッコミ。
最高ッス。
【教育関連】
▲ このネタのニュースソースは私も前に読んでいて
http://blog.livedoor.jp/monka/archives/11779737.html
「文科省が『理数大好き事業』 博物館や大学が出前授業」
(文部科学ブログ)
学習指導要領を理解していない研究者の行う実験はやはり一過性のもので、(中略)教科としての理科を好きになる効果が得られないことです。
むしろ、学校の実験にすら意外性を求めて、あまり面白くないと言いきるまでになってしまう子どもすら居る。人が浮く・水が一瞬で凍るなどの飛び道具はしょせん、分からないことのわくわくでしかない。
むしろ実験をストーリーテリングのように毎週少しづつ簡単なものを意味を考えながら自分で実現させたときにこそ最大の効果が得られる。
「あ〜いいんじゃないの?」てなこと口走ってたかと思うのだが、
ここの文章を読むとそう単純でもないようだ。
まぁやり方次第で巧くいく感じが強くなった。
学習の醍醐味は、自分が得た知識が
別の知識と結びついた時に感じるものなのだ。
▲ この文部科学省の失策を取り戻す方法は無いものだろうか。
http://blog.livedoor.jp/monka/archives/11807522.html
「1月5日付・読売社説 [『戦後』を超えて]
『『ゆとり教育』の“呪縛”断ち切れ…基本法に新たな針路』」
(文部科学ブログ)
このことから得られた見識は
1:文部科学省はやはり広報が下手だった(新規性無し)
2:メディアは行政の意図を伝える役割を担いきれていない
3:メディアは主張が弱くても読み手を気持ち良くさせることを重視する場合がある。
4:教師がゆとり〜についていけなかった遠因はメディアによる広報と文部科学省との連絡パイプが不充分だったことにあるのでは?
5:文章の読解力の低下は大人にこそ蔓延しているのではないか?
今からでも「ゆとり教育」の真実を伝えることはできないだろうか。
あと、最後の「文章の読解力の低下は大人にこそ蔓延」との視点こそ
今の教育論議に必要なものなのではないだろうか。
子供への教育だけが大事なのではない。
彼らを導くのは学校だけではなく、家庭・社会をも含めた環境なのだから。
さらに言えば、子供たちを導くとされる「大人」たちの学びの姿勢、
そして学力が「低下」したと言われる今の「子供」(将来の「大人」)たちを
どうフォローしていくのかという所まで考えねば、
いつまで経っても小手先だけの「対策」で終わってしまう気がしてならない。
そして日本人全体の「学力低下」が進行していくのだ。
──マスコミによる「1億総白痴化」は今でも続いている。
「大人」の多くや、マスコミ自身すらそれに気づいていない。
だから子供への教育の話だけに興じていられるのだ。