音楽配信の“国境越え”は、権利者の自主判断で可能になるか?

http://benli.cocolog-nifty.com/benli/2005/09/imagine_theres_.html

http://d.hatena.ne.jp/himagine_no9/20050902/p8

http://benli.cocolog-nifty.com/benli/2005/08/post_f4b4.html

 『benli』 にて 「Imagine there's no country.」 との記事。お馴染みジョン=レノンの曲の一節を引いて「夢想家」で締めくくっている。どこの国からでも、物理的にネットワークが敷設されてさえいれば接続ができるインターネットは、「国が無い」世界を実現した数少ない空間だった(言語の壁はこの際 無視しておく)。しかし、そこに現実世界のビジネスが入り込んでくると、徐々に国境が持ち込まれてしまう。 Amazon などのネット通販がその代表だが、商品の物理的制約が無い音楽配信でも踏襲されている。
 小倉弁護士は「国際的市場分割というのは昔から追いかけているテーマの一つ」だそうで。それは失礼いたしました。「最近 J-Pop が海外へ紹介されるのに著作権が邪魔になっている──みたいな角度でも論を展開し始めている」と表現したうちの記事に反応したものかどうかは判らないけど。──話を戻す。小倉氏は「日本在住者がある種の情報を適法に入手する手段を排除し、日本にいてはその情報にアクセスすることができなくなるようにする手段として著作隣接権が活用されている」と手厳しく批判する。
 「音楽配信時代になったら、もう「国」という概念がないことくらいは想像し、実現してもよいのではないかって思うんですよ」という部分には大きな拍手を送りたい。私も思いっきり共感する。でも「『国境』というマジックワードが挟まると、何となく納得してしまう人が多いようです」というのは正確でない気も。そうした“論理”に対して抗弁する術を(まだ)持てずに途方に暮れている状態なのではないか。決して「納得」ではなく‥‥。私個人について言えば、悲観から出発して突破を試みるタチではある。
 要は、自分の手元に、抗弁に使える知識も情報も無いということ。思えば「輸入権」問題の際だって小倉弁護士(や他の人たち)の“論理支援”がなければ あそこまで大きな動きにすることは出来なかっただろう(私は末端でチョコマカしてただけだけど)。つくづく自分の無能さを思い知るところだよ。それでも少しずつ少しずつ打開していきたい。だから、背伸びして こんな問題を追い続けてるんだよなぁ、俺って。
 おっと、話がそれた。音楽配信の国境撤廃を実現するためには、著作権者(この場合は著作隣接権者)が自主的に全世界を対象とした許諾をやっちまうか、小倉氏が提案するように「原盤権者に対して、楽曲のオンライン配信について日本国内又は他のG8参加国内にある事業者の一つにライセンスを付与した場合、他の事業者に対しても、少なくともそれと同程度の条件でライセンスを付与することを義務づける」(要は法改正)ことが必要になるだろう。あるいは他に良い方法があったりするのかな?