iTMS は音楽レコード流通の代替だから(現状は)

http://d.hatena.ne.jp/marusan55/20050808

http://mf247.jp/prospectus.html

 mF247 主宰の丸山茂雄氏のブログ『丸山茂雄の音楽予報』に「配信もいいけどインターネットを新しい物を生み出す道具として使おう」との記事。 iTMS の日本上陸を契機に、各サービスの配信曲数ばかりがマスコミで取沙汰される現状を憂い、「音楽ビジネスを担う人達が、インターネットの利用の仕方を有料配信のところにだけ焦点を当てている事に、大きな不満を感じています」と述べている。う〜む、 iTMS で大喜びしつつ、 mF247 も楽しみにしている私としては複雑な思いを抱いてしまう。
 まず、 iTMS などの音楽配信は、現状CDで為されている音楽レコード流通の代替でしかない。そして配信楽曲数ばかりが注目されるのは、それが音楽配信に期待されている役割だからだ。極端な話、音楽配信は既発音源すべてを取り扱うことが期待されているのである。 「100万曲」だの 「20万曲」だの、 その程度の数値など、発展途上での通過点でしかない。まだまだ話にならないレベルであり、だからこそ配信曲数が注目されるのである。充分な品揃えだったら、そもそも楽曲数など気にする必要はない。
 このニーズは、現状の流通が全く満たせていないものだ。実際、音楽ファンの多くは廃盤・未配信を意識している。新世代の音楽ファンが過去の音源に興味を向けた時、それは特に強く意識される。入手不可能となった音源に思いを馳せ、悔しさを噛みしめているのである。音楽配信は、これを解決する(ことが可能かも知れない)流通手段として期待されている。現状のCD流通が「過去の財産をどの様に運用するか」以前の問題だという惨状ゆえの“夢”である。言わば、丸山氏のいた「メジャー」が生んだ鬼子だ。
 翻って、 mF247 の方はどうだろうか? 丸山氏が mF247 サイトの方で書かれた「mF247を始めるにあたって」にあるように、 mF247 で示された方法論は、 iTMS が運命的に負わされるメジャーの論理とは明確に区別された「インディーズの論理」によるものだ。そして、これこそが「新しい音楽を生み出そうという試み」を担う。この試みは必ずしも iTMS が負わされるべきものではないし、特に配信曲が何曲などという話とは別次元の問題。もちろんインディーズ側が iTMS を利用するのは可能だが。
 いま丸山氏がすべきなのは、「メジャーの論理」を腐してセールストークをすることではなく、 mF247 の「論理」を目の当たりにさせることではないか。おそらく丸山氏はその準備に忙殺されているのだろうし、私も発表が楽しみで仕方ないのだが、正直 待ちきれないのである。何か先行してやれることは無いものだろうか? 例えばフリーダウンロードは丸山氏のブログを通して出来ないか(チャートを作るのは難しいだろうけど)。丸山氏の思いは過去記事で充分表現されているように思う。次が欲しい。