「CGM」 には、過剰な期待も過剰な蔑みも不要

 いわゆる Consumer Generated Media ってやつだが、これが宝石の山になるわけでも 何の訳に立たないわけでもないということは、我々ネットユーザーの経験則から既に判っていることであって。ことさら CGM を持ち上げたり蔑んだりするような言説にいちいち動揺させられる必要など全くない。
 たとえば「はてなブックマーク」を使ってる人で、今さらホッテントリに頼ってる人もいないでしょ。あれは“はてな的”な偏りや突発的“ネットイナゴ”状態を観察するサンプルにはなり得ても、各ユーザーにとっての有益な情報源とはなりにくい。もはや価値判断が作用しづらい(“焼け石に水”)ほどに膨れあがってしまっているから。むしろ価値観・問題意識を同じくする「お気に入り」ユーザーのブックマークの方が有益なのであって、結局のところ、利用者個人にとって「CGM」 の見かけ上の質が「お気に入り」な発信者の能力に依存するという。俺が はてブで「お気に入り」だけをチェックするようになって かなり久しい。
 俺たちの周りが玉石混淆だってことも経験則からよく判っていることであって。いわゆる「プロ」の手によるものも、「プロシューマー」の手によるものも同様。結局は作り手個人の能力に帰着し、かつそうした「玉」を見つけるのに必要とされるのが“俺”の眼だったりするわけだ。


 選択肢が増えるってだけで、何も変わりゃしないよ。“俺”が進化しないとね。